2016年8月 アーカイブ
2016年8月31日 7時00分00秒 (Wed)
己に厳しく
致知出版社社長、藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
「人に勝つ者は力有り。自らに勝つ者は強し」
と『老子』(第33章)はいう。
他人と争ってこれを打ち負かす者は力があるといえるが、本当の強者ではない。
私欲私情を克服できる者、すなわち私心に打ち勝つことができる者こそ、真の強者である、ということである。
王陽明もまた、同じようなことをいっている。
「山中の賊を破るのは易しく、心中の賊を破るのは難し」
克己(こっき)は古来、聖賢が目指した道である。
思えば、天は人間にだけ克己という心を発達させた。
その心があることによって、人間の進歩向上はある。
そのことを我々は肝に銘じたいものである。
最後に、新井正明氏(住友生命保険元名誉会長)の言葉を紹介する。
「暗いところばかり見つめている人間は、
暗い運命を招き寄せることになるし、
いつも明るく明るくと考えている人間は
おそらく運命からも愛され、
明るく幸せな人生を送ることができるだろう」
「自らに勝つ」ことに腐心してきた人の尊い言葉である。
『プロの条件』致知出版社
昨今は、政治家でも実業家でも、トップの座にまで到達しながら、没落してしまう例は多い。
多くは、謙虚さを忘れ、偉そうになったり、横柄になったり、見下したり、という勘違いをしてしまったことによる克己の心を失ってしまったことによるものだ。
人は、放っておくと、弛(ゆる)みができ、スキができてしまう。
金銭にしてもだんだんと公私混同してしまったり、自分に甘くなる。
緊張感が薄れてしまい、慣れが生じるからだ。
心に忍び寄る怠惰な心や弱い心を退けるには、「克己」という、自分自身を鍛えあげる良き習慣を身につけるしかない。
「人に勝つのではなく、己(おのれ)に勝つ」
他人との比較ではない。
そして、常に未来に希望を持ち、明るいところを見つめる。
己に厳しい人でありたい。
「人に勝つ者は力有り。自らに勝つ者は強し」
と『老子』(第33章)はいう。
他人と争ってこれを打ち負かす者は力があるといえるが、本当の強者ではない。
私欲私情を克服できる者、すなわち私心に打ち勝つことができる者こそ、真の強者である、ということである。
王陽明もまた、同じようなことをいっている。
「山中の賊を破るのは易しく、心中の賊を破るのは難し」
克己(こっき)は古来、聖賢が目指した道である。
思えば、天は人間にだけ克己という心を発達させた。
その心があることによって、人間の進歩向上はある。
そのことを我々は肝に銘じたいものである。
最後に、新井正明氏(住友生命保険元名誉会長)の言葉を紹介する。
「暗いところばかり見つめている人間は、
暗い運命を招き寄せることになるし、
いつも明るく明るくと考えている人間は
おそらく運命からも愛され、
明るく幸せな人生を送ることができるだろう」
「自らに勝つ」ことに腐心してきた人の尊い言葉である。
『プロの条件』致知出版社
昨今は、政治家でも実業家でも、トップの座にまで到達しながら、没落してしまう例は多い。
多くは、謙虚さを忘れ、偉そうになったり、横柄になったり、見下したり、という勘違いをしてしまったことによる克己の心を失ってしまったことによるものだ。
人は、放っておくと、弛(ゆる)みができ、スキができてしまう。
金銭にしてもだんだんと公私混同してしまったり、自分に甘くなる。
緊張感が薄れてしまい、慣れが生じるからだ。
心に忍び寄る怠惰な心や弱い心を退けるには、「克己」という、自分自身を鍛えあげる良き習慣を身につけるしかない。
「人に勝つのではなく、己(おのれ)に勝つ」
他人との比較ではない。
そして、常に未来に希望を持ち、明るいところを見つめる。
己に厳しい人でありたい。
2016年8月30日 7時00分00秒 (Tue)
宇宙の法則
小林正観さんの心に響く言葉より…
宇宙の法則として、「投げかけたものが返ってくる(投げないものは返ってこない)」というものがあります。
これはつまり、物理学でいう「作用」「反作用」と同じことで、言葉を換えて言うなら、「愛すれば愛される」「愛さなければ愛されない」「感謝すれば感謝される」「感謝しなければ感謝されない」「嫌えば嫌われる」「嫌わなければ嫌われない」「憎めば憎まれる」「憎まなければ憎まれない」ということです。
そして、自分に返ってくるものについて「宇宙は倍返し」という方程式があります。
投げかけたものがまだ返ってこない間に、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を一切言わなければ、二倍のものが返ってきます。
宇宙は非常に律儀な倍返しなのです。
もし、人生の中で、普通であれば不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言ってしまうような出来事が起こったら、「来た!」と思ってください。
ついに私も試験を受けるようなところまで人格の修練を積んできたのだと。
その試験に「合格」すると、自分にとって楽しい出来事が起き始めるようになっています。
きちんと給料をもらえる、妻も舅(しゅうと)も姑(しゅうとめ)も子どももみんな優しい、睡眠時間も足りている、というときにニコニコしていられるのは、誰にでもできることで、これは人格者とは呼びません。
給料が払われない、配偶者がわからずや、子どもが言うことをきかない、自分の体調も悪い、睡眠も足りていない、というような、1000人中1000人がイライラしてしまうようなときに、ニコニコしていられるかどうかが、問われています。
「この状態でもニコニコできますか?」と宇宙が現象を降らせてくるのです。
何度かそのような試験を経て、大学卒業レベルの試験に「合格」すると、もう来ません。
こういう構造がわかって、本当に損得勘定で動くようになった自分が出来上がると、外から見るとちょっとした人格者に見えるようになります。
損得勘定と人格者というのは、かけ離れた概念ではありません。
怒ったり、愚痴、泣き言を言っていると血圧が上がり、胃液が濃くなって胃潰瘍(いかいよう)になったり、どんどん体が壊れて死ぬ方向にいってしまいます。
つまり、そういうことが損だとわかると、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わなくなります。
人格者になることを目指さなくとも、損得勘定を身に着けた結果として、人格者になってしまう、という構造があるのです。
『神さまに好かれる話: 悩みを解消する法則 (単行本)』三笠書房
小林正観さんはこう語る。
「神様は…
面白がる人には、どんどん面白いこと
楽しがる人には、どんどん楽しいこと
幸せがる人には、どんどん幸せなこと
を、くださるみたいなのです。
さらに、さらに重要なこと。
感謝する人には、感謝したくなるような現象を、次々に降らせるみたいだ。
愚痴をいう人には、愚痴をいいたくなるような現象を、次々に降らせるみたいだ。
その人が“好きで言い続けている言葉”をもっともっと言いたくなるように、現象をセットしてくださるようなのです」(同書より)
つまらなそうに、不機嫌に生きている人には、つまらないこと、不機嫌になるようなことがどんどん起きてくる。
つまり、人は、思った通り、言った通りの人生を歩む、ということ。
二度とない人生を、面白がって、楽しがって、幸せがって、感謝して生きていきたい。
宇宙の法則として、「投げかけたものが返ってくる(投げないものは返ってこない)」というものがあります。
これはつまり、物理学でいう「作用」「反作用」と同じことで、言葉を換えて言うなら、「愛すれば愛される」「愛さなければ愛されない」「感謝すれば感謝される」「感謝しなければ感謝されない」「嫌えば嫌われる」「嫌わなければ嫌われない」「憎めば憎まれる」「憎まなければ憎まれない」ということです。
そして、自分に返ってくるものについて「宇宙は倍返し」という方程式があります。
投げかけたものがまだ返ってこない間に、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を一切言わなければ、二倍のものが返ってきます。
宇宙は非常に律儀な倍返しなのです。
もし、人生の中で、普通であれば不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言ってしまうような出来事が起こったら、「来た!」と思ってください。
ついに私も試験を受けるようなところまで人格の修練を積んできたのだと。
その試験に「合格」すると、自分にとって楽しい出来事が起き始めるようになっています。
きちんと給料をもらえる、妻も舅(しゅうと)も姑(しゅうとめ)も子どももみんな優しい、睡眠時間も足りている、というときにニコニコしていられるのは、誰にでもできることで、これは人格者とは呼びません。
給料が払われない、配偶者がわからずや、子どもが言うことをきかない、自分の体調も悪い、睡眠も足りていない、というような、1000人中1000人がイライラしてしまうようなときに、ニコニコしていられるかどうかが、問われています。
「この状態でもニコニコできますか?」と宇宙が現象を降らせてくるのです。
何度かそのような試験を経て、大学卒業レベルの試験に「合格」すると、もう来ません。
こういう構造がわかって、本当に損得勘定で動くようになった自分が出来上がると、外から見るとちょっとした人格者に見えるようになります。
損得勘定と人格者というのは、かけ離れた概念ではありません。
怒ったり、愚痴、泣き言を言っていると血圧が上がり、胃液が濃くなって胃潰瘍(いかいよう)になったり、どんどん体が壊れて死ぬ方向にいってしまいます。
つまり、そういうことが損だとわかると、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わなくなります。
人格者になることを目指さなくとも、損得勘定を身に着けた結果として、人格者になってしまう、という構造があるのです。
『神さまに好かれる話: 悩みを解消する法則 (単行本)』三笠書房
小林正観さんはこう語る。
「神様は…
面白がる人には、どんどん面白いこと
楽しがる人には、どんどん楽しいこと
幸せがる人には、どんどん幸せなこと
を、くださるみたいなのです。
さらに、さらに重要なこと。
感謝する人には、感謝したくなるような現象を、次々に降らせるみたいだ。
愚痴をいう人には、愚痴をいいたくなるような現象を、次々に降らせるみたいだ。
その人が“好きで言い続けている言葉”をもっともっと言いたくなるように、現象をセットしてくださるようなのです」(同書より)
つまらなそうに、不機嫌に生きている人には、つまらないこと、不機嫌になるようなことがどんどん起きてくる。
つまり、人は、思った通り、言った通りの人生を歩む、ということ。
二度とない人生を、面白がって、楽しがって、幸せがって、感謝して生きていきたい。
2016年8月29日 7時00分00秒 (Mon)
いいほうへといいほうへと考える
精神科医、斎藤茂太氏の心に響く言葉より…
私は、ものは考えようだといつもいうけれど、「幸福」も「不幸」も考え方しだいでどうにでもなる。
私は何ごとも、いいほうへ、いいほうへと解釈する。
生きていれば、腹の立つこと、悲しいこと、思い出したくないことも数多く出現する。
また、楽しく、愉快なこともいくらでもあるものだ。
そいういうことをいろいろ思い出しては、私は「まあ、なんだかんだといっても幸福な人生を歩んでいる」と考え、満足に近い心をもつ。
自分を幸福と信じる人が、本当の意味で幸福な人だと思うからである。
ある年齢になって、過去をかえりみて、「幸福だった」と思う人は、自分の過去をいいほうへ評価した人である。
いろんなことをやってきたという満足感をもっている。
老年になれば人はだれでも「それなりに幸福な人生だった」と思うのではないだろうか。
時間がたつといろいろなことが美化されるというのは人間にあたえられた特権である。
老年の人から「昔はよかった」という言葉をよく聞く。
しかし、どんな人でも「よかった」ことばかりがあったはずはない。
イヤなこともいくらでもあったはずである。
が、どんな苦しいことでも、長い間には美化され、悪くない思い出として脳裏に残るのだ。
目の前の嫌なことは片端から忘れていく。
これは実にうまくできたメカニズムである。
人間というのは実にうまくできていると思う。
一方で、満足できない、まだやり残しがあると思う人もいる。
私はそれも大切だと思う。
やり残しがあると自覚するのは、前向きなことなのである。
人生は勉強の連続で、必ずいくばくかの不満を持って人は終わる。
それはそれで結構なことではないか。
旅行をすれば見たいところは無数にある。
しかし、すべては見られない。
見逃しは必ずでてくる。
だから「次の楽しみにしよう」と思うのだ。
「もう一度ここに来たい」というエネルギーの源泉になる。
人生も、心残りを少しばかり持つのが幸福に生きるコツだと思う。
残したものを少しずつ埋めていくのが、また楽しいのである。
残り物に福あり、だ。
『ほがらかに品よく生きる--モタさんの言葉』新講社
斎藤一人さんは、こう語る。
「よく、過去は変えられないっていうけれど それはまったく違います。
なぜなら過去はあなたの中にある思い出だから。
どんなに嫌な思い出も『あのことがあったから今の自分があるんだ』といい思い出に変えてしまえばいいのです。
過去の思い出を自分の思い通りにすることができたなら、未来も素敵な夢に変えることもできます。
その夢に向かって今やれることを、楽しみながら一歩一歩進んでいく…。
そういう人に神様は味方してくれますよ」
「過去は変えられるけど、未来は変えられない」という。
過去は考え方次第で、よくも悪くも変わる。
未来は、過去に対する考え方や見方が変わらない限り変わらない。
その人の生き方のクセだからだ。
悪い方に悪い方に考えるクセのある人は、未来も悪い方にいく。
どんなときも、いいほうへ、いいほうへと考える人でありたい。
私は、ものは考えようだといつもいうけれど、「幸福」も「不幸」も考え方しだいでどうにでもなる。
私は何ごとも、いいほうへ、いいほうへと解釈する。
生きていれば、腹の立つこと、悲しいこと、思い出したくないことも数多く出現する。
また、楽しく、愉快なこともいくらでもあるものだ。
そいういうことをいろいろ思い出しては、私は「まあ、なんだかんだといっても幸福な人生を歩んでいる」と考え、満足に近い心をもつ。
自分を幸福と信じる人が、本当の意味で幸福な人だと思うからである。
ある年齢になって、過去をかえりみて、「幸福だった」と思う人は、自分の過去をいいほうへ評価した人である。
いろんなことをやってきたという満足感をもっている。
老年になれば人はだれでも「それなりに幸福な人生だった」と思うのではないだろうか。
時間がたつといろいろなことが美化されるというのは人間にあたえられた特権である。
老年の人から「昔はよかった」という言葉をよく聞く。
しかし、どんな人でも「よかった」ことばかりがあったはずはない。
イヤなこともいくらでもあったはずである。
が、どんな苦しいことでも、長い間には美化され、悪くない思い出として脳裏に残るのだ。
目の前の嫌なことは片端から忘れていく。
これは実にうまくできたメカニズムである。
人間というのは実にうまくできていると思う。
一方で、満足できない、まだやり残しがあると思う人もいる。
私はそれも大切だと思う。
やり残しがあると自覚するのは、前向きなことなのである。
人生は勉強の連続で、必ずいくばくかの不満を持って人は終わる。
それはそれで結構なことではないか。
旅行をすれば見たいところは無数にある。
しかし、すべては見られない。
見逃しは必ずでてくる。
だから「次の楽しみにしよう」と思うのだ。
「もう一度ここに来たい」というエネルギーの源泉になる。
人生も、心残りを少しばかり持つのが幸福に生きるコツだと思う。
残したものを少しずつ埋めていくのが、また楽しいのである。
残り物に福あり、だ。
『ほがらかに品よく生きる--モタさんの言葉』新講社
斎藤一人さんは、こう語る。
「よく、過去は変えられないっていうけれど それはまったく違います。
なぜなら過去はあなたの中にある思い出だから。
どんなに嫌な思い出も『あのことがあったから今の自分があるんだ』といい思い出に変えてしまえばいいのです。
過去の思い出を自分の思い通りにすることができたなら、未来も素敵な夢に変えることもできます。
その夢に向かって今やれることを、楽しみながら一歩一歩進んでいく…。
そういう人に神様は味方してくれますよ」
「過去は変えられるけど、未来は変えられない」という。
過去は考え方次第で、よくも悪くも変わる。
未来は、過去に対する考え方や見方が変わらない限り変わらない。
その人の生き方のクセだからだ。
悪い方に悪い方に考えるクセのある人は、未来も悪い方にいく。
どんなときも、いいほうへ、いいほうへと考える人でありたい。
2016年8月28日 7時00分00秒 (Sun)
下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ
小林一三氏の心に響く言葉より…
《下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。 そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。》(小林一三・阪急阪神東宝グループ創業者)
自分はチャンスがもらえないと嘆く人は多い。
しかし、世の中は捨てたもんじゃない。
必ず見ている人はいる。
能力があれば必ず世の中に出ることができる。
本当にできる人を世の中が見逃すことはめったにないからだ。
まずは、自分の今やるべきこと、与えられたことに全力を尽くしてみるといい。
そこに必ず多くの発見があるだろう。
下足番でも何でもいい。
そこを極めていくうちに世の中のことも見えるだろう。
豊臣秀吉は、織田信長の下足番から出世したという。
下足番をするなかで信長の力量をわかったし、信長もその下足番ぶりから、秀吉がただの下足番でないことがわかったはずだ。
だからどんなことでもいい、それを極めていけば、自分の先の進み方もわかるし、人も世の中もよく見えてくるものだ。
『日本人なら知っておきたい名言100』(木村進著)SOGO HOREI
「幸運の矢は嫌な方から飛んでくる」
という。
嫌なことから逃げずに、しっかりと足を踏ん張り、一所懸命頑張る。
多くの人は、目の前の一事に専念せず、もっと他に幸運の種があるのでは、と探し回る。
「明珠在掌(めいじゅたなごころにあり)」という禅語がある。
宝はあちこち探し回っても、どこにもない。
本当は、自分の手の上にある。
「今ここ」から逃げずに、目の前の一事を、深く、長く、磨き続ける。
「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ」
目の前の一事に、手を抜かず、一所懸命になる人には幸運の女神がほほ笑む。
《下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。 そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。》(小林一三・阪急阪神東宝グループ創業者)
自分はチャンスがもらえないと嘆く人は多い。
しかし、世の中は捨てたもんじゃない。
必ず見ている人はいる。
能力があれば必ず世の中に出ることができる。
本当にできる人を世の中が見逃すことはめったにないからだ。
まずは、自分の今やるべきこと、与えられたことに全力を尽くしてみるといい。
そこに必ず多くの発見があるだろう。
下足番でも何でもいい。
そこを極めていくうちに世の中のことも見えるだろう。
豊臣秀吉は、織田信長の下足番から出世したという。
下足番をするなかで信長の力量をわかったし、信長もその下足番ぶりから、秀吉がただの下足番でないことがわかったはずだ。
だからどんなことでもいい、それを極めていけば、自分の先の進み方もわかるし、人も世の中もよく見えてくるものだ。
『日本人なら知っておきたい名言100』(木村進著)SOGO HOREI
「幸運の矢は嫌な方から飛んでくる」
という。
嫌なことから逃げずに、しっかりと足を踏ん張り、一所懸命頑張る。
多くの人は、目の前の一事に専念せず、もっと他に幸運の種があるのでは、と探し回る。
「明珠在掌(めいじゅたなごころにあり)」という禅語がある。
宝はあちこち探し回っても、どこにもない。
本当は、自分の手の上にある。
「今ここ」から逃げずに、目の前の一事を、深く、長く、磨き続ける。
「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ」
目の前の一事に、手を抜かず、一所懸命になる人には幸運の女神がほほ笑む。
2016年8月27日 7時00分00秒 (Sat)
お互い敬意を持って接する
レス・ギブリン氏の心に響く言葉より…
人間関係に関するかぎり、相手の自尊心を傷つけることはご法度(はっと)だ。
相手の人間としての尊厳を踏みにじったら、いずれいやな目にあわされる。
人々は自尊心についてとてもデリケートで、自尊心を傷つけられると非常手段に訴えるおそれがあることを肝に銘じよう。
すべての人は自分の自尊心を大切にしてほしいと願い、それを傷つける人を敵とみなす。
だから、他人を機械やロボットのように扱ってはいけない。
そんなことをすると、相手はそっぽを向いてしまう。
実業家のヘンリー・カイザーは「すべての人を大切に扱えば、必ずよい人間関係を築くことができる」と言っている。
これは当たり前のことだが、非常に含蓄のある言葉だ。
1.すべての人は程度の差こそあれ自分本位である。
2.すべての人は自分に最も強い関心を抱いている。
3.すべての人は自分が重要だと感じたがっている。
4.すべての人は他人に認められたいと思っている。
すべての人は自分の自尊心を満たしてほしいと強く思っている。
その願望がある程度満たされて初めて、人々は自分のことを「忘れ」、他人に意識を向けることができる。
また、自分が好きになって初めて、人々は他人に対して友好的になることができる。
第一次世界大戦中に兵士が「おい、そこのお前、マッチを消せ」と怒鳴りつけたところ、相手は名将として知られるパーシング将軍だった。
兵士がしどろもどろになって謝罪しようとすると、将軍は彼の肩を軽くたたきながら「若者よ、ささいなことを気にする必要はない」と言った。
名将ともなると、一兵卒の不用意な発言ぐらいでは自信が揺るがないのだ。
しかし、自尊心が低いと摩擦やトラブルが頻発する。
自尊心がさらに低くなると、ささいなことでも動揺しやすい。
自分が話している最中に居眠りをしたという理由で相手の女性を絞め殺した男性がその典型だ。
もし彼の自尊心が満たされていれば、相手の侮辱的な行為はさほど大きな意味を持たなかっただろう。
他人をこき下ろす傲慢な人も、低い自尊心のために苦しんでいる。
こういう人の行動を理解するには、ふたつのことを知っておく必要がある。
ひとつは、自分の重要感を高めようとして他人をこき下ろしていること。
もうひとつは、誰かに少し批判されただけで、すでに低い自尊心が崩壊するのを恐れていること。
こういう人はいつも心の中でびくびくしながら他人と接している。
自尊心を傷つけられるという不安に耐えられないので、他人にやられる前に相手を攻撃することもある。
気難しい人に対処する効果的な方法は、たったひとつしかない。
その人が自分自身をより好きになるのを手伝うことだ。
傷ついた自尊心を癒すのを手伝えば、相手はおとなしくなって突っかかってこなくなる。
心のこもったほめ言葉をかけて相手の自尊心を満たせば、気難しい人に対して大きな効果を発揮する(普通の人に対して効果があることは言うまでもない)。
『人望が集まる人の考え方』ディスカヴァー
自尊心と自己重要感は同じような意味を持っている。
ひらたく言えば、「自信」があるかどうかだ。
自信がある人は、ささいなことでは怒ったり、ムキになったりしない。
余裕のある人、でもある。
心の中に、ほめ言葉という「愛」(幸せ・感謝・喜び・楽しさ)がたまっていけば、自分の自己重要感も高まってくる。
自己重要感が空っぽでは、人に「愛」を与えることはできない。
「すべての人を大切に扱えば、必ずよい人間関係を築くことができる」
だれに対しても、お互いに敬意を持って接する人でありたい。
人間関係に関するかぎり、相手の自尊心を傷つけることはご法度(はっと)だ。
相手の人間としての尊厳を踏みにじったら、いずれいやな目にあわされる。
人々は自尊心についてとてもデリケートで、自尊心を傷つけられると非常手段に訴えるおそれがあることを肝に銘じよう。
すべての人は自分の自尊心を大切にしてほしいと願い、それを傷つける人を敵とみなす。
だから、他人を機械やロボットのように扱ってはいけない。
そんなことをすると、相手はそっぽを向いてしまう。
実業家のヘンリー・カイザーは「すべての人を大切に扱えば、必ずよい人間関係を築くことができる」と言っている。
これは当たり前のことだが、非常に含蓄のある言葉だ。
1.すべての人は程度の差こそあれ自分本位である。
2.すべての人は自分に最も強い関心を抱いている。
3.すべての人は自分が重要だと感じたがっている。
4.すべての人は他人に認められたいと思っている。
すべての人は自分の自尊心を満たしてほしいと強く思っている。
その願望がある程度満たされて初めて、人々は自分のことを「忘れ」、他人に意識を向けることができる。
また、自分が好きになって初めて、人々は他人に対して友好的になることができる。
第一次世界大戦中に兵士が「おい、そこのお前、マッチを消せ」と怒鳴りつけたところ、相手は名将として知られるパーシング将軍だった。
兵士がしどろもどろになって謝罪しようとすると、将軍は彼の肩を軽くたたきながら「若者よ、ささいなことを気にする必要はない」と言った。
名将ともなると、一兵卒の不用意な発言ぐらいでは自信が揺るがないのだ。
しかし、自尊心が低いと摩擦やトラブルが頻発する。
自尊心がさらに低くなると、ささいなことでも動揺しやすい。
自分が話している最中に居眠りをしたという理由で相手の女性を絞め殺した男性がその典型だ。
もし彼の自尊心が満たされていれば、相手の侮辱的な行為はさほど大きな意味を持たなかっただろう。
他人をこき下ろす傲慢な人も、低い自尊心のために苦しんでいる。
こういう人の行動を理解するには、ふたつのことを知っておく必要がある。
ひとつは、自分の重要感を高めようとして他人をこき下ろしていること。
もうひとつは、誰かに少し批判されただけで、すでに低い自尊心が崩壊するのを恐れていること。
こういう人はいつも心の中でびくびくしながら他人と接している。
自尊心を傷つけられるという不安に耐えられないので、他人にやられる前に相手を攻撃することもある。
気難しい人に対処する効果的な方法は、たったひとつしかない。
その人が自分自身をより好きになるのを手伝うことだ。
傷ついた自尊心を癒すのを手伝えば、相手はおとなしくなって突っかかってこなくなる。
心のこもったほめ言葉をかけて相手の自尊心を満たせば、気難しい人に対して大きな効果を発揮する(普通の人に対して効果があることは言うまでもない)。
『人望が集まる人の考え方』ディスカヴァー
自尊心と自己重要感は同じような意味を持っている。
ひらたく言えば、「自信」があるかどうかだ。
自信がある人は、ささいなことでは怒ったり、ムキになったりしない。
余裕のある人、でもある。
心の中に、ほめ言葉という「愛」(幸せ・感謝・喜び・楽しさ)がたまっていけば、自分の自己重要感も高まってくる。
自己重要感が空っぽでは、人に「愛」を与えることはできない。
「すべての人を大切に扱えば、必ずよい人間関係を築くことができる」
だれに対しても、お互いに敬意を持って接する人でありたい。
- わたなべ治療室(南蒲田整骨院)
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わたなべ治療室について

- 開設までの道のり
- 平成元年 国家資格取得後学生時代よりお世話になっていた整形外科に5年間勤務。
救急指定で手術、入院設備があり1日の来院患者数が500名を越える日も少なくない様な整形外科にて臨床経験(骨折、脱臼、捻挫等の外傷、病的な疾患、手術見学等)を積ませて頂き貴重な時間を与えて頂きました。またその間カイロプラクティック等の骨格矯正も勉強させて頂きました。
以後、専門学校講師の接骨院にて1年間勤務(午後は院長として)後
ご縁があり大田区萩中にて南蒲田整骨院を開設し30年間が経過しました。
2014年4月より従来の保険診療に加え根本治療と予防に特化した『わたなべ治療室』を開設致しました。 - 院長プロフィール
- 渡邉剛哉 年齢50代 O型 魚座
少年時代はサッカー少年 高校卒業後、休日はサーフィン三昧でした…今では衰えた体に鞭を打って肉体改造し行ける時には海に行って楽しんでいます。 夏大好き、海大好き人間です。
趣味 サッカー観戦(鹿島アントラーズのサポーターです) 旅行(宮古島、石垣島などの離島)
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